コブリンヤ、プライベートレッスンレビュー
大師匠コブリンヤ先生が10年(?)ぶりに来日するということで、プライベートレッスンとセミナーに参加しました。(VISCAの水野先生はコブリンヤの黒帯のため、私はコブリンヤから見れば孫弟子になるのかな)
まずは、プライベートレッスンのレビューから。
プライベートレッスンは火曜日の夜。
コブリンヤはこの日来日したそうで、自分達の前にもプライベートレッスンを受けていました。
今回は同じ道場の方々、4人で受けました。
事前に習いたいテクニックとスパーがしたい旨をメールでお願いしていましたが、参加者それぞれ何が問題なのかもう少し詳細を聞きたいと言われ、説明してからレッスンスタート。
教わったテクニックは以下です。
- Xガードに対するベースのコンセプトとパスガード
- ガードのリテンションとシットアップからテイクダウン
- オーバーアンダーパス(噛みつき)に対するカウンター(後転スイープと相手をいなしてバックorサイドポジション)
- スパー(5分/人)
- キムラグリップを作った状態での相手のコントロール方法
フレンドリーかつ紳士的で、教え方やコンセプトも非常に明確でした。
どこに体重を移動するか、どこがレバーなのか丁寧に説明してくれ、理解が進みました。
また、全てのテクニックに対して、道場での練習仕方まで教わりました。
テクニックを教えて終わるのかと思っていたのですが、道場に戻って、どう習得していくのかまで考えているのかと。
実際に本人がテクニックを取得するためにやってる方法だから、具体的なアドバイスがすぐできる。
この、技術習得の姿勢にとても感動しました。
テクニックが終わって、スパーの時間。
5分間のスパーは何もできませんでした。ガードも作れないし、パスは全然できないし、底が見えませんでした。
これが世界チャンピオンなのかと。
スパー後、共通で褒められた事はムダな力を入れていない、という事でした。
これは水野先生の指導の賜物だと思い、実際にコブリンヤにも伝えました。
気になるお値段ですが、今回は1人あたり道着2着分くらいです。
安くはないですが、自分にはそれだけの価値がありました。
プライベートレッスンは初めてでしたが、コブリンヤの確かな技術と柔術に対する真摯な姿勢を学べた事と、スパーで世界チャンピオンに触れられた事は今の自分にとってとても意義深い時間となりました。
興味を持たれた方は次の機会に是非、一緒に参加しましょう!
青帯までの道のり
青帯までの道のりを自分の為に棚卸しした別ブログ記事の転載です。
紫帯までも書こうと思ったので、こちらに転載しました。元記事自体は、2015年9月に書きました。
読み返すと傲慢な感じで、嫌なヤツですね…。
以降、元記事より転載。
やったことは以下の3つです。
- 好きなスタイルや体格の似ている選手を真似る
- 負けないためにどうするかを考えて、技術を整理する
- 練習の中でPDCAを回す
この3つって割と何かを習得する上で普遍的な気がします、優先度は人それぞれかもしれませんが。
英語のスピーキングとかも、好きなフレーズとか使えそうなフレーズを探して、使えそうなシチュエーションに整理して、英会話のクラスの中で試したものを録音とか聞き返したりしてPDCAを回した経験から柔術へ応用しました。
以下、振り返り。
柔術始めたのは2012年9月で、青帯取得は2015年8月。
そんなに早くはないと思います。ちょっと遅いくらいかも。
ただ、2014年5月までは月5回会員で、月1回しか行けない月があったりと練習自体はそこまで行けてないと思います。それまでは筋トレ週2,3回で柔術週1回を子供が生まれたタイミングで、柔術週3回目標に切り替えました。
柔術に対して意識が変わったのが、最初の試合(2013年12月)で負けてから上の3つのポイントを段階的に意識していきました。
試合に勝つ為にというより、負けない為にどうするか、技術的に何を自分のポートフォリオに入れるかを精査して練習して、スパーで試して、改善してといわゆるPDCAを回していきました。
年明けの試合で一勝したり、それなりに納得する試合が組み立てられると不思議な事にスパーでもやられづらくなり、練習も楽しくなってきました。
どうやって自分のポートフォリオに入れる技術を決めたかというと、自分のイメージする柔術や好きな柔術のスタイルから逆算してきました。
自分より少し後に入ってあっという間に青帯になった大学生のガードから攻めるスタイルが柔術っぽいと思い、フィジカルも無いことから上からのスタイルではなく、『ガードから攻める』というスタイルを構築するために技をセレクトしていきました。
また、階級の中(ペナ/フェザー)では、上背があるので体格が似ているキーナン・コーネリアスという選手を参考に練習しました。
上手い人を真似ると、技術体系を考えながら観察や研究ができるので細切れのテクニックを身につけるより効率的にポートフォリオを整理できるという発見もありました。
本当に真似るのは大事。
ただ試合ではあんまり勝てません。なんでかというと、そこまで勝敗を意識してない。
言い訳に聞こえるかもしれないけど、野村さんの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」で、ポイントで先制したとしても次のPDCAのために、練習してきた事を極力全部試した結果、逆転されちゃうなんて事もありまして、不戦勝した大会以外結局白帯で優勝はしてない。
ただ今になって思えば、青帯が欲しくてちょっと焦ってたのかも、とも思います。
今度は紫帯ですが、帯の色よりも自分の中で明らかに足りていない上からの攻めのスタイルを構築していきます。
マット運動、参加者少ない問題
参加者に柔術家がいる呑み会の時などに、よく話題にでます。
n数は極端に少ないですが。
私は、
ある程度決まったルーティンのマット運動を毎回やるべきだ
というポジションを取っています。
なぜ、そう考えるかを書く前に、なぜ、参加者が少ないか、を考えてみました。
参加者が少ない理由は2つ考えられます。
- 面白くない
- 毎回やる意味が分からない
面白くするアイディアは色々あるかと思いますが、マルセロ・ガルシア道場とかは楽しそうですし、ゲーム要素を入れたり工夫している道場も多いと思います。
How Marcelo Garcia created the perfect BJJ gym vibe || BJJ Hacks in NYC - YouTube
VISCA港区では、MG直系の野田さんが楽しみながら行えるウォーミングアップとマット運動を体験できます!(以上、宣伝)
そして、毎回やる意味が分からない、についてですが、まずマット運動でできない動きは、対人だとほぼ間違いなくできません。
しかも、仰向けでマットに背中をつけた状態で身体を動かす事自体が普段行う動きから離れているので、最初は難しい。
そのため、初心者の方にマット運動が必要性はある程度理解されていると感じます。
ただ、動きを習得した後も毎回やる必要性を感じにくいのかと推測します。
なぜ、出来るようになった動きを毎回行うのか。
それは、その日の自分の身体の動かし方を把握し、自分のいつもの基準に向かって調整する事で練習をより効果的にできるからと考えています。
ある練習ではできたテクニックが、別の日にはできなくなってしまう経験があるのではないでしょうか。
身体の動かし方のズレ(頭と身体)なのか、単純に手順なのか切り分けが難しくなり、要因が複数出てくるため、対策に時間がかかりテクニックの習得に影響がある。
この影響を小さくするために、毎回(ある程度ルーティンを決めた)マット運動を行なって、今日の自分と平均的な(いつもの)自分との差を毎回、調整する事が上達を助けます。
エビの動きを例にすると、いつもの力でマットを踏んで腰を浮かして切った時に、いつもより腰が切れなかった場合、マットを踏む力が弱かったのか、それとも腰を浮かせるのが足りなかったのか、いつもの自分を基準にして調整していきます。
たまにマット運動をするのでは、基準も曖昧になり、意味がないため、毎回やる必要がここにもあると考えます。
始めた頃は何も考えずに、マット運動してたのですが、ベース(楽器)を練習する時も必ずウォーミングアップも兼ねていつもやる基礎練(4フレット4指でクロマチック上下降)があって、これに通じるなと思って意識して取り組むようになりました。
以上が自分がマット運動が必要だと考える理由です。
どれくらいやれば良いかは、まだ自分でも試してますが、今はストレッチして、マット運動5分くらいです。
女子トップ選手の湯浅選手は1時間以上を1ルーティンとしてるそうです。
Single movement:柔術 ムーブメント 一人打ち込み マット運動 - YouTube
これを継続するのは相当ハードルが高いですが、自分のできる範囲でルーティンを作ってマット運動を取り組んでみてください。
大きな価値を得るための小さな負け
先週の土曜日に道場のHさんの昇帯記念お祝い会がありました。Hさんの気遣いで私のJJFJ全日本3連覇もお祝いしていただきました。嬉しかった。
非常に楽しい会で、お酒も進み、参加者のほとんどがいつもより呑みすぎた感じ。
私も例に漏れず、酔ってまして、イギリス人のDさんに柔術に関する彼の取組みを褒めました。偉そうにはなってないと思いますが、伝わったかは不明です。
彼にはレスリングの経験があり、うちの道場に来た時は青帯でした。
乱取りでも、最初はトップからパスを狙う攻防が中心で下になると簡単にパスされてしまう感じだと記憶してます。
それが、数ヶ月前から自分で引き込んで、ガードから組み立てるようになりました。
自分の改善点を見つけて、そこに取り組んでいく事ができるのは、上達には必要な事で、どんな事の上達にも通じると考えています。
また、上手くなる人は大なり小なり、これを実践してると思います。
私が感心したのは、彼がうちの道場では現在ズバ抜けて若い(24歳)のにこれを気づいて実践してる事です。
おじさんになってくると、なにかと言い訳をつけながら小さな負けを受け入れていけます。
自分がそうでした。
ただ、若者がおじさんに負けるのを受け入れるのはハードルが高いかな、と感じる場面が多く、なかなかうちの道場に若い人が定着しない理由の1つだと感じます。
その事を、彼にフィードバックしましたが、英語もめちゃくちゃだったと思うし、伝えずにはいられず典型的な酔っ払いだった事を反省しています。
何が自分が得たいものか、価値があるものかを考え、それを得るための小さな負けを繰り返しても腐らずに続けていける。
自分も忘れないようにしていきたいと思います。
読書ブログ 第2回「第三帝国の愛人」
ドイツ系の企業に勤めているというのもあり、最も多く訪れている外国なので歴史を学ぼうと思っていたところライフネット生命の出口さんが雑誌で薦めていたので購入しました。
本書はナチス政権下に駐独米国大使のドッドとその家族のノンフィクションです。
大学の教授だったドッドが様々な偶然から駐独大使となり、ナチスのユダヤ人迫害にはじまる外国人排斥などに対し毅然な態度で対峙していくだけではなく、アメリカ大使館内での政治や批判と戦っていく話を中心に展開されていきます。また、ドッドの娘マーサを中心にした華やかな社交界の場についても描かれています。
印象に残ったのは人々がナチスに傾倒していく場面よりも、政党内でのパワーバランスを一番近いところから客観的に観察されており、バランスが崩れる瞬間が非常にスリリングでした。疑心暗鬼と権力欲が原因なのだという理解ですが、”やらなければやられる”という感覚を以下に権力者の周りに構築する事が正しい判断を狂わすのかが分かる例だと感じました。この一場面だけ見ると、ヒトラーもサディスト達が自らの欲求を満たすために良いように使われたのではないでしょうか。
他にもドイツの近現代史を読んで、ヒトラーがそもそも悪いという点だけではない何かを学べると判断するという事が学べると今は考えています。
読書ブログ 第1回:読書は格闘技
レビュー第1回目は「読書は格闘技」
瀧本さんの著書を読むのは2冊目でしたが、タイトルがいつも自分のツボを突いてきてついつい手に取ってしまいました。
(1冊目は『僕は君たちに武器を配りたい』でした。)
本の内容は、読書を受動的にではなく能動的に行うことでより自らの血肉するための方法を12の軸で実例を示しています。
方法としてはテーマに対して、対となるような本2冊を時代背景などに合わせて解説し、自らの考えを述べる形で構成されています。
著者vs読者ではなく、本vs本を戦わせて、読者が考えていくスタイルは客観性も維持しつつ自分ならどうするか考える良い機会になりました。